機を逃さず、「運」を切り開いた
PROFILE
松岡吾弘さん
営業開発部
部長
大阪を中心に「デルーサ」や「クレイジーチャンス」などの屋号で店舗展開する光輝グループ(大阪市)。日本一面白いパチンコホール企業を目指し、日々、新たな取り組みにチャレンジしている。会社の変革をけん引する一人が営業開発の松岡吾弘部長。2008年、38歳の時に光輝グループに店舗責任者として転職し、その3年後に営業部長に就任。「日本一面白い営業部長」として活躍している。
光輝グループという、【日本一面白い会社】を目指す会社で営業部長をやってる松岡吾弘と申します。まあ、今日はこんな地味な写真でほんと申し訳ないんですけど・・・。
部活動に力を入れたり、女子スタッフで結成したユニットをアイドルデビュー(?)させたりしてきましたが、1年くらい前に経営理念を見直した際に、改めてはっきりと「2018年までに日本一面白い会社になる」と掲げました。小さなことでもいいから「日本一」「日本初」を。まあ、「業界初」とか「大阪初」でもいいんですけどね。そういうことをやっていこうよ、という会社です。今日は私の話なんですが、8年前に店舗責任者として光輝グループに転職しました。それ以前にホール企業に2 社、合計10年以上いましたけど、いや~酷かった。店長になったら休みなし。「そんなん当たり前でしょ?」と思う人もおるかもしれませんけど、1 社目では3年間まるで休みなしですよ。店長の仕事がいくら楽しくても、常軌を逸した環境です。辞めて、転職した2社目のホール企業は、当初はまともだったんですけど・・・。しばらくして経営陣が入れ替わってヤバイ雰囲気になりましたね。ありがちですよね?(笑)もう少し社会的な常識を備えつつ、これから店舗展開をしていこうという会社で働きたいとパチンコキャリア転職さんに相談していて、紹介されたのが光輝グループでした。
入社するとすぐに、「大阪初の1パチ営業店を作る」という大きなチャンスを与えられました。当時、大阪にはまだ1パチ営業がなく、ほとんどの業界人が「儲かるわけない」と冷ややかに見ていた。でも、会社は「面白そうやん!」と。自分も「そんな新しいことに挑戦させてもらえるなんて、なんてラッキーなんだ!」と興奮しました。だって「大阪初」ですから。今でも感謝しています。この店が大ヒットして軌道に乗ると退屈してきて、他に挑戦してみたいことができた。本店が大規模なリニューアルを行って、グループ最大規模になっていたのですが苦戦中。自分はそこで店長をやりたいと思っていたけど、「さすがに入社したばかりだしな~」という気持ちがあって「自分にやらせてほしい」というストレートな言い方は我慢。しかし会議では常に誰よりも先に意見を言い、本店についても問題点の指摘や改善提案をしてアピールしていたんです。即戦力を期待されている中途採用社員は、誰よりも先に発言するべきですからね。違う視点、違うノウハウを持った者だからできる指摘や提言をしてナンボの存在でしょ。
するとある日、会社から「やってみるか」の言葉。2つ目の大きなチャンスです。本店をうまいこと軌道に乗せてなんやかんやして、3年後には部長になっていました。振り返ってみると…、う~ん、運!というか、「タイミング」も大事だったと思いますね。前に働いていた会社は2 社とも自分が辞めてちょっとしてから内部崩壊して、今じゃ見る影もない。
見切りをつけるタイミングが遅れていたらもっと酷い目に巻き込まれていたかもしれない。タイミングがちょうど合ったから、光輝グループという面白い会社と出会うことができたんですからね。
この会社との出会いに感謝しています。