現代パチンコの源流 正村ゲージとは?
パチンコのユルイ雑学 2020/2/11
パチンコの歴史は意外にも古く、戦前には既に人気の遊びとなっていました。
戦争で全面禁止となり一旦は空白の時期を迎えますが、戦後すぐに復活して、街中の露店などで見られるようになりました。
しかし、昭和20年代前半は戦前と同じ「バラ釘が並んだだけ」で、後に30兆とも言われた産業に発展する雰囲気は皆無だったのです。
そんな草創期のパチンコを劇的に変えたのが「正村ゲージ」の登場でした。
「正村ゲージ」とは、名古屋でパチンコホールを営んでいた正村竹一氏が1948年頃に考案した「ゲージ」、つまり「釘の並び」です。
現在のパチンコ台にも見られる天釘、ヨロイ釘、風車、ハカマなどの釘の並び方は正村ゲージが元になっています。バラ釘だけのパチンコに「画期的」な釘配列をもたらし、玉の動きに躍動感を与え、正村ゲージのパチンコ機はいずれも人気なりました。当然、正村商会が経営するホールは連日満員だったようです。
衝撃的なのは、正村氏がその釘配列について
「パチンコの普及」のために特許を取らなかったこと。
現代ではとても考えられない行動ですが、そのおかげで他店も正村ゲージを搭載したパチンコ機を製造し、パチンコという娯楽が巷に一気に普及。店舗数は1950年から51年にかけて約2倍になりました。
正村氏が正村ゲージの特許を取っていれば、莫大な収入を得ることができたはずですが、その一方でもし特許案件だったなら、売上30兆円という自動車産業に匹敵する産業に発展しなかったとも言われています。
「ゲージ」とは実は広義の言葉で、多くは細い棒状の太さや、薄い材質の厚みなどの尺度に使われています。有名なものでは線路の軌道幅を表す言葉も「ゲージ」です。
しかし、パチンコ業界では「クギとクギの間の広さ」や「クギ構成」そのものを指す言葉として使われています。その中で「正村ゲージ」は業界の歴史に不滅の名を残したのです。
余談になりますが、その後、1975年に正村氏は死去しますが、「まさむら」の名前は業界に残り、正村商会のパチンコホールは2010年まで営業を続けました。
また、かつて存在したメーカーの「まさむら遊機」(マジカルチェイサーなどがヒット)は正村商会の工場長であった人が、同商会のパチンコ製造撤退からその名を譲り受けたものがはじまりです。
その後、まさむら遊機は京楽ブランドとなり、現在はブランド名称を「オッケー.」に変更しています。